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「フォネット詩集 G線上のマリア」 平本照麿
(朝日出版社)
「フォネット=四行プラスタイトルの五行で纏める言葉の塊を、ぼくは勝手にこう呼ぶことにした。俳句や短歌のように字数や季語にとらわれることもない、自由詩のように冗漫になることもない。ただ、四行という怠慢な縛りがあるだけだ。」
エピローグより
友人に貸していた本が戻ってきた。こんな本を買っていたことすら忘れていた。
単行本は高いし、図書館を利用するのが関の山。しかも詩集だなんて・・・物語好きの私には、まず選択肢にないものなんだけど・・・。
新聞の書籍広告で見つけて衝動的に欲しくなった。2004年の初版第1刷だから発売されてすぐ買いにいったんだろうな。
何がそんなに私の目に留まったのだろうか。
忘れていた本のページをめくる。
「ああ、マリア
ぼくの体の中を風が吹き抜ける
なんと爽やかな朝の淫靡な残香
冷徹な肌に激しく燃えつきた欲情よ
マリア、きみはぼくを狂わせた!」
これか・・・?
本の中の1篇が紙面にそのまま載っていたのだが、果たしてこれだったか・・・。いずれにしてもこの“マリア”を詠った詩だったはずで、結構刺激的だったのは記憶にある。
どきっとした。
どきっ・・・と、するよねぇ。
激しい恋の詩だ。恋だけじゃなく、家族への愛と死、自然や季節、旅した街の風景、時間・・・。
あらゆる事象に向き合い吐き出される言葉はストレート過ぎる。
「詩は書くものではない、つかむものだとぼくは思っている。心が渇望しているとき、飛んできた真理を一瞬にしてつかむ。つかみ損なったら永久におしまいだ。その瞬間だけ、本当の詩が生まれるとぼくは信じている。(中略)
ただ残念ながら、満ち足りた日常から詩は生まれない。心が飢えている時だけ、詩は向こうからやってくる」
作者が詩についてエピローグで述べている。
なるほどである。
才能にもよるだろうが書こうと思って書けるもんじゃないとは思う。
もともと好きじゃないのよね。
抽象的な言葉の羅列から読み手が読み取らなきゃならないんだったら、最初から長文でわかりやすく書けよ。ずっとそう思っている。論文じゃないんだからじっくり読み込んで要旨を読み取れだなんてやってられない。まして詩なんて自分の中から溢れてくるエッセンスなのだからわざわざ抽象的に書く意味も判らない。だから詩って好きじゃなかったのだ。
でもこのフォネット=四行詩はかなり激情的に直球を投げるような言葉の繋がりばかりで比較的わかりやすい。長ったらしくもない。
私は、本は一度読んだらなかなか読み返すことってないのだけど、これはそうでもないかもしれない。忘れた頃にまた取り出してそのときに、どきっとするものを探してみようか。
で、今回は・・・
「小さな喜び
小さなことに傷つく心は
小さな喜びにもうちふるえる
人の痛みに気づかぬ心は
自分の傷にも気がつかない」
幾つかあったけど、こんなところにしておこう。
あまりにストレート、これが今だと言うにはさらけ出しすぎるから(笑)
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